2013年8月5日月曜日

重要なこと

あなたは、消えたいって思ったことある? 死にたいっておもったことはある? 死にたいってカッコウつけても、ほとんどの場合は 物凄く生きたいから発する表現の場合が多い。 本当に死んじゃう人は、静かなのかもしれないな。 あなたの人生が、仮にあと10日だとしたら。 どうする? 仕事に行く? そう答える人は、今の仕事に生きがいを感じてるのだろう。 重要性の原則からいくと、 重要なことを、その残された時間のうちに、 実行すべきだ。 さぁ! あなたにとって、その10日間にやるべきこと、やりたいことは何? 考えてみた。 僕はね、、 やりたいことが、いきたいところが、 山ほど、山ほど、あってね。 仕事になんか行かないよ。 まず、一人で過ごす。 何もかもから完全に解放され 雲を見ている。 この僕を育んでくれた地球を見ていたい。 それは、とても僕にとって重要なことなんだ。 母と同じくらいに。 母なる大地っていうでしょ。。 この惑星がなければ、僕は宇宙の中に生まれることはなかった。そう思いながら、雄大な自然エネルギーの中で、雲が流れていく様をみると、感動する。 全然、当たり前ではないのだ。 日常の生きるという喧騒は、 そういったことを、忘れさせてしまう。 残された10日間には、生きる現象を感謝していたい。この惑星の自然を眺めて。 もっとも美しい空と海と緑を感受できるに違いない。 そして、父と母に感謝し、 妻には、泣かないでと思い、 僕は君と共に描いた希望と夢だけが、 時空の暗闇を照らす勇気の灯火になるだろうと、 伝えたい。

2012年9月9日日曜日

母の涙の出てない泣き声

母が死ぬまで この苦しみは終わらないのか。 しかし、母が死んだら、すごく悲しい。 そんなこと、考えたくも無い。 しかし、絶望を感じるほど、介護は辛くて。 夢もあきらめなければならないし、 希望も捨てなければならない。 自分は、この母があって生まれてきたのだけれど、 今、この母の存在によって、辛い日々を送っている。 しかし、母といられることだけは、幸せ。 しかし、夢も希望も持てない現在は、不幸。 介護が理由で離婚だってありえる。 いや、むしろ、別れてあげるという思考の角度もある。 こんな面白くない、足枷、手枷の人生なんて、つまらない。 たった一度の人生だと思うと、なおさらだ。 いったい、このバランスは何なのだろう? 介護というものが、僕の人生の最大の壁になるなんて、 思いもしなかった。 介護を放棄すれば、いいのだろうか? 僕には、わからない。 このままだと、わからないまま、死んでいくのかな。 死にたい。 死にたいほど、生きたい。

2012年8月26日日曜日

介護は地獄

介護はもういやです。 放棄したい。 しかし、できない。 ただただ、自由を失った自分を、悲しく思い、、 そう思いながら、日が暮れて、日が変わり、 また、明日がくる。 何もできないまま、僕も、死へ向うのだろうか。

2012年7月22日日曜日

幸せの追求中



恥ずかしいと思う人は、相当、まっとうな人。 恥というのは、相当、高等な心を持つ証拠。 そして、恥とは、いかなるものなのか? 恥というものを貫いて、だれも、行かなかった場所まで行って、手を振ってみせて。。 それで、皆を感動させたとき、人々はもはや、その人を恥ずかしい人とは見ていない。 むしろ、凄い人。。 だから、恥とは、どういうものか、良くわからない。 だから、よくわからない恥、を恐れて、踏み出せないのは愚かで、 むしろ、それは、どうしようもない恥だ。。 恥というものには、何か、とてつもない魅力がある。 世界には多くの魂が生きている。 その魂は親からもらったDNA、遺伝子によって、その魂を包む肉体に包まれている。 ホントハ、魂はみな、幸せになりたいし、その素質をもっているはずだと思う。 しかし、悲しみに蝕まれた魂のことが事件として報道される。でも、彼や彼女は寂しかったに、 違いない。身の回りの人をよくみてると、すべての人が良い面とすばらしい面を持っていそうだ。 それに気づいてないとしたら、未熟な自分を知るだけ。 そういうことも気づかないで、人を批判したり、低くみたりするのは、死ぬほど恥ずかしいことだ。 だから、恥を知るとは、そういうことで、すばらしいことだ。

介護の辛さ 休日の当番

休日だというのに、 母と二人で家にいて、 晴天だというのに、 夏だというのに、 二人っきりで家にいて、 心は重たく、体も重い。 存在する時間はコマ切れで、 すぐに、母の何かを要求する声が聞こえる。 何にも集中できない。 時間だけが過ぎていき、 夏もそ知らぬ顔で過ぎていく。 何もできない。 何かができるとしても、 心は重たく、体も重い。 また、母の声がする。 そんな気がする。

2012年7月12日木曜日

超 へんな気持ち


あれだ! あの、へんな気持ち。あれになるのは僕だけなのか?
いや、きっと、多くの人も感じるものかもしれない。。
その、へんな気持ちとは、、

もし私が産まれていなかったら、今、こうやって考えている私は、、、無かったのか?
その、私が無かったという状態を想像すると、とても不快というか、へんな気持ちなのである。

さらに、私が生まれる前には、私が無かったという状態があり、やがて、私が死んでいなくなったら、また、私が無いという状態が続くのだ。なんということか。。しかも、私が無い状態のほうが、、
圧倒的に長い時間なのだ。

この世界が実存しているとしても、私が実存しなければ、この世界は実存していないのと、
同等。なぜなら、この世界が実在することを感知できないから。私が生きていない状態というのを想像すると、とても深い不思議に包まれる。

わたしがいなければ、ごっそり、すべてが無いのだ。絶えられない(考えられないこと)のに、それは実に自然なこと。 私がいないという果てしない時空の中に、、
ほんとうに、ひととき、私がいるのだなぁ。。

雨が空から落ちてくるように自然で不思議だ。

2012年7月11日水曜日

介護の辛さ


きょう母のためにいつもの病院に薬を貰いにいきました。2時間もかかる仕事。待合室ではいつも雑誌を読む。女性雑誌も好き。だけと、とりわけ好きなのが、月刊誌「一枚の繪」。絵と作者のコメントがひとつの頁に収まっている。 日常、自分にとって、絵を特別なものとは感じてないけど、病院や雑誌で出会ったいくつかの一枚が、強烈に僕を吸い込むのがあるのです。写真とちがって、作者が感じたものを描く為にいらない情報をそぎ落としたもの。それが絵だと思う。だから、彼が描きたいものがストレートに理解できるような気がするんです。


たぶん、だからこそ、作者と波長が合ったとき、僕の心をとらえ、絵に心奪われてしまうんだと、 思います。一枚の絵と波長があったら、匂いや、その場所の音までが、鮮明に浮かんできます。 それが、快感なんですよね。絵とはそういうものだと思う。おかしな表現ですが、本物以上の本物。つまり、本物の中にいても、心の感度が落ちていると、気づかないような美しさ、、それを見抜いて、いらない情報をそぎ落として、その美をドカンと強烈に描いたもの。。


介護や姑の経験の無い母を持つと子供は地獄です。子供の時間を容赦なく吸い取り、、 子供は失望しチャンスも失います。この地獄の状況からどうやれば脱出できるのか。。 それが最大の関心ごと。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」 26~7で亡くなった石川啄木、、この年齢で人生の哀しさ表現したなんて、信じられません。 絵画や文学に救われる日々です。